おばあちゃんとこ、の思い出

母方のおじいちゃんとおばあちゃんは、私が当時住んでいた家から徒歩5分くらいのところに住んでいました、つまり、母の実家がそこだったのです。

おじいちゃんも住んでいたけどなぜか親戚全員が「おばあちゃんとこ」と呼んでいました。おじいちゃんの存在感…(゚∀゚)

うちは共働きだったので、学校が終わるといつも「おばあちゃんとこ」で遊んでいました。夕方になったら仕事帰りのお母さんが「おばあちゃんとこ」に迎えに来てくれるので、一緒に風呂屋さんに行って家に帰るというのが毎日のパターンでした。

毎日のように「おばあちゃんとこ」にいたので、あもちゃも全部そっちにあったし、友達付き合いもそっち方面のほうが濃くなり、結果、土日もいつも「おばあちゃんとこ」を拠点に活動していました。

 

「おばあちゃんとこ」では本当にいろんなことが起こりましたが、私が数十年経った今でも、まるで昨日のことのように覚えている出来事がふたつあります。

ひとつは「ストーブ火柱事件」です。そのときは私とおじいちゃんしかいませんでした。

ストーブの灯油が切れたよおじいちゃん。

するとおじいちゃんはストーブからタンクを取り出し、庭に下りて、キャップを外し、灯油を満タンに入れて戻って来ました。そしてそのタンクをストーブに戻した…瞬間

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ぼーーーーーーーーっ!

っと天井まで火柱が上がったのです。

タンクのキャップを閉め忘れて、タンクの中の灯油がストーブに流れ込んだのです。たぶん「灯油の補充のときは必ずストーブを切ってください」みたいな注意書きもあったはずですが、そんなのもちろんフルシカト。点けっぱなしの給油シクヨロです。明治生まれのおじいちゃん、漢字が読めたのかどうかも怪しいものです。

小学生低学年だった私は飛び上がっておどろきましたが、おじいちゃんが驚くべき冷静さでストーブを「すん」と切ったので、すぐに火柱は消え、大事にはなりませんでした。十軒長屋。アレの火が広がっていたかもと思うと、今でもボウコウのあたりがザワザワします。

 

もうひとつの思い出は、おばあちゃんが倒れてしまったことです。その時は私とおばあちゃんしかいなくて、私は忘れもしない、テレビの前で膝を抱えて「ヤングオーオー」を観ていました。

台所でご飯の準備をしていたおばあちゃんに呼ばれた気がして振り向くと、おばあちゃんがすぐ後ろで倒れていました。私の方を向いて口を動かしていましたが声は出ず、私が「おばあちゃん!どした?!」と言うとハタッと意識を失いました。

私は大慌てでお母さんの職場に電話して、そのあと泣きながら救急車を呼んで、隣のおばちゃんに来てもらって、おじいちゃんも帰って来て、救急車が来るまでの間、みんなでおばあちゃんを見ていました。

しばらくしてお母さんが帰って来て「え?二階にヒデオおらんの?」と言いました。お母さんの一番下の弟ヒデオ、つまり私の叔父さんが当時同居していたのですが、朝から一度も姿を見なかったし、そもそもこんなに大騒ぎになってるのを気付かんはずないやーん!と言いながら二階を見に行ったら、叔父さんはお菓子を食べながら「ヤングオーオー」を観ていました。お母さん激おこでした。

 

今週のお題「私のおじいちゃん、おばあちゃん」私が小学生だった頃の懐かしい思い出を書きました。